国道309号線沿いの天川村の入口にあり、村内の観光や登山などあらゆる情報が集積されています。天川村へお越しの際は是非お立ち寄りください。
所在地 |
天川村川合263-1 (奈良交通・天川川合バス停前) |
---|---|
電話 |
0747-63-0999 (fax: 0747-63-0888) |
営業 | 午前8時15分〜午後5時 |
休業 | 無休(年末年始[12/29–1/1]を除く) |
奈良交通バス洞川温泉停留所前にあり洞川温泉の宿泊案内や、山伏一日入門などを行っております。洞川地区の観光で判らないことがありましたら、まず洞川温泉観光案内所にお越しください。
所在地 | 天川村洞川(奈良交通洞川温泉バス停前) |
---|---|
電話 |
0747-64-0333 (fax: 0747-64-0917) |
営業 | 午前9時〜午後5時 *12/1〜3月中旬:午前10時〜午後4時 |
休業 | 無休(年末年始を除く) |
修験道の大峯山内一の行場とされる龍泉寺を中心にして、大峯信仰の登山基地として栄えた洞川温泉には、たくさんの旅館・土産物店・お食事処が軒をつらね温泉街を形づくっています。大峯山の修行のシーズン(5月から9月)には山伏の吹く法螺貝の音が山々に木霊して、周囲の自然環境とマッチした信仰の聖地であることが実感できます。昭和21年に旅館街全体を焼く大火があり、各旅館はそれ以降に再建されたものでありますが、その町並みが何かなつかしく、昭和の時代にタイムスリップした雰囲気を漂わせています。春の新緑、夏の避暑、秋の紅葉、冬の雪景色と四季折々の表情を見せてくれる洞川温泉は、おもてなしの心を大切にした癒しの郷として人気が高く、カップルや女性グループも多く訪れています。
今から千三百年の昔、大峯の山々を行場として修行された役行者が、山麓の洞川に憩われたとき、こんこんと湧き出る泉を発見しました。龍の口を名付けて、そのほとりに小堂を建て、八大龍王をお祀りされたと伝えられます。それが龍泉寺の始まりです。それから200年後、龍泉寺の1キロ上流の蟷螂の岩屋に雌雄の大蛇が住みつき、修験者たちに危害を加えました。そのため、一時大峯修行を志す人が絶えて、龍泉寺も荒廃してしまいました。修験道中興の祖、聖宝・理源大師が、真言の秘法によって岩屋の大蛇を退治し、龍泉寺を再興したと伝えられています。
龍の口から湧き出る清水は、役行者以来、今も絶えることなく清冽な流れを境内にたたえ、修験者の清めの水として大峯山中第一の水行場となっています。
龍泉寺は真言宗醍醐派の大本山として多くの信者を集めておりますが、洞川から登る修験者は、宗派を問わず、龍泉寺に詣で、水行の後、八大龍王尊に道中安全を祈ってから、山上ヶ岳に向かうしきたりとなっています。修験道の根本道場として信者、登山者の必ず訪れる霊場です。境内、竜の口より湧き出る清水をたたえた大峯山中第一の水行場があり、本尊弥勒菩薩、八大龍王、役の行者尊は、全国信者の尊崇を集めています。また、寺内の不動明王尊は、近畿三十六不動尊第三十一番目の札所。毎年10月には八大龍王堂大祭がにぎやかに行われます。
エコミュージアムセンターのテーマはずばり自然と水と修験道。吉野熊野国立公園・大峯山系の自然をくまなく紹介する情報発信基地です。この大峯山地は上部に中・古生代に積もった秩父帯の下にそれより新しい中生代白亜紀の四万十帯が滑り込んだデッケ構造になっています。それから約1,500万年前の新第三紀中新世の中ごろにマグマが貫入して広い範囲で熱変成を受けた岩石などが観察できます。そういった紀伊半島の脊梁部が形成された時からの大地の様子を見ることができる貴重なフィールドがエコミュージアムセンターの周りに広がっています。
また、センターの前を流れる山上川はそういった岩石帯を浸透してきた清冽な水が流れており、色々な水生昆虫が生息しています。センターのマスコットでもあるムカシトンボの生息地でもあります。 ムカシトンボ君と一緒に洞川フィールドの旅へ出発してみては?
所在地 | 天川村洞川784-32 |
---|---|
電話 |
0747-64-0999 (fax: 0747-64-0888) |
入館料 | 無料 |
営業 | 午前10時〜午後5時 |
休業 |
毎週水曜日(祝日の場合は翌日) *冬期閉館(12月1日〜3月31日) |
駐車場 | 専用駐車場あり(無料) |
山村の暮らしや民俗などを伝える資料館。大峯山中から引き揚げられた米軍B29のエンジンも展示。また入口にあるギャラリーほのぼのは無料開放しており、シーズンごとに写真展などを開催しています。龍泉寺からすぐ。
所在地 | 天川村洞川674-1 |
---|---|
電話 | 0747-64-0630 |
入館料 |
大人:250円/小人:100円
|
営業 | 午前10時〜午後5時 |
休業 |
毎週火曜日(祝日の場合は翌日) *冬期閉館(12月1日〜3月31日) |
駐車場 | 専用駐車場あり(無料) |
昭和59年に大峰山寺・奈良県・橿原考古学研究所により大峰山寺の解体修理が行われました。そのときの発掘調査において、我が国山岳宗教史上の定説を裏づける純金製の仏像2躰が、またその他にも奈良時代、あるいは平安時代の宇多天皇・藤原道長等による奉納品など、正に山の正倉院さながらの発見がなされました。山上ヶ岳歴史博物館はそれら発見された出土品の他、大峯修行にちなんだ数々の資料が展示されています。
所在地 | 天川村洞川492-1 |
---|---|
電話 |
0747-64-0099(開館中) 0747-63-0999(天川村総合案内所) |
入館料 |
大人:300円/小人:150円
|
営業 |
9:00–16:00 シーズン中の土日祝を中心に開館 平成27年度開館日 5月:3–6・10・17・24・31日 6月:7・14・21・28日 7月:5・12・19・26日 8月:2・3・9・13–16・23・30日 9月:6・13・20–23・27日 10月:4・11・12日 |
休業 |
不定休 *冬期休館 |
駐車場 | あり(無料) |
洞川温泉は代表的なカルスト地形(石灰岩台地)で、約1,000mから1,500mに及ぶ石灰岩層を何千万年とかけて水が浸透して出来た数多くの洞穴があります。洞川盆地はそういった石灰岩層に出来た空洞が落ち込んで形成されたと考えられています。その盆地の周縁部に面不動、五代松の両鍾乳洞があり、奈良県の天然記念物の指定をうけています。それぞれ鐘乳石や石筍が地底に夢の宮殿を形づくり訪れる人々を楽しませています。蟷螂(とうろう)の岩屋は大峯山修業の旧跡で、信者の訪れる行場の一つです。
この地形からミネラル分を適度に含む、美味しく、かつ体によい水が湧く事で有名です。
広々としたゲレンデと最高の雪質のパウダースノーでスキーヤーに喜ばれている関西では穴場のスキー場です。ゲレンデの近くまで車が入れ、収容力の大きい洞川温泉は旅館も多くて便利なので、年々利用客が増えています。
所在地 | 天川村洞川678-220 |
---|---|
電話 |
現地:0747-64-0082 管理者・大西:0747-64-0444 |
入場料+リフト利用料 |
大人:2500円/小人:1500円 (入場料のみ 大人:1000円/小人:500円) |
営業 | 積雪状況によっての営業となりますので、事前にお問い合わせください |
設備 | 駐車場(40台) |
大峯山より流れ出る山上川の最下流部は両側の山が迫って峡谷となっています。みたらい渓谷は山上川が川迫川(こおせがわ)に合流する場所に出来ており、特に狭まった山の裾の大岩壁を大小の滝が流れ落ちる自然の一大傑作です。この地域は自然の要害として南朝の皇族方が敵の来襲の際避難された場所でありの南朝のロマンを秘めた伝説があります。
また、周辺の森林は人の手が入れられなく、それが功を奏した形で特に新緑と紅葉の美は近畿地方第一といわれ、洞川温泉とは約7キロの遊歩道で結ばれています。
かつて皇位継承事件で窮地にたたされた大海人皇子は、大和朝廷を守護する神々のふるさと吉野を訪れ、天心地祇に勝利を祈願して琴を奏じました。すると、その音に乗って唐玉緒を纏った天女が現れ、戦勝の祝福を示しました。この天女は、役行者が弥山山頂に祀ったとされる弥山大神でした。これに力を得た皇子は、壬申の乱に勝利を収め、即位して天武天皇となりました。
その後、天皇はこの天女の加護に報いるため、麓に神殿を造営し、「天の安河の宮」とされました。これが天河大辨財天社の始まりだと伝えられており、天川村の名前の由来となったとされています。
御祭神は中央に弁才天、右に熊野権現(本地仏:阿弥陀如来) 左に吉野権現(蔵王権現)がお祀りされており、神仏習合の形態を今も残しています。また、神社は吉野熊野本宮あるいは吉野総社として、大峯修験の要の行場とされ、古来、高僧や修験者たちが集まるところでした。特に弘法大師空海の参籠後は、大峯参り、高野詣と併せて多くの人々が訪れるところとなりました。日本の三大弁天の宗家とされるこの天河大辨財天社は、水の精、辨財天女を祀ります。
また、辨財天女は、音楽や芸能の神様としても有名です。神前での能の奉納が、毎年行われ、世阿弥も用いたとされる阿古武尉の面、能楽草創期からの価値の高い能面、能装束が多数奉納されています。
高野槙でつくった浴槽、杉や桧、松など恵まれた森林資源をふんだんに使った建物も魅力のひとつです。ネオンもありません。遊戯場もありません。しかし、輝く星や月、鳥たちのさえずりがいっぱいの「天の川温泉」へ──。
弘法大師空海と修験道とのかかわりは深く、20歳代の頃に求聞持法(ぐもんじほう)を伝授され、大峯の山中や龍泉寺で修行されたと伝えられます。また、大師の残した性霊集にも「空海少年ノ日、好ノンデ山水ヲ渉覧ス、吉野ヨリ南行スルコト一日、更ニ西ニ向ッテ去ルコト両日程、平原幽地アリ、名ヲ高野ト曰フ。」とあります。 天川村は大峯奥駈道を通って吉野より約1日(25キロ)の道程にあり、間違いなく弘法大師はこの地を経て高野山に至ったと考えられます。
洞川龍泉寺の本堂には、弥勒菩薩を真中に、右に弘法大師、左に役行者と理源大師が祀られています。大師は辨財天を信仰され坪内に妙音院求聞持堂を建て、天河大辨財天社に参籠し、神仏習合の密教を「あ字観」として表わしました。神社には、空海の遺品、五胡鈴(ごこれい)と言われる密教奥義感得の鈴などが残されています。また、神社の塔中の一つでもありました、来迎院には大師お手植と伝えられる大銀杏があり、その脇にあ字観碑があります。
大峯高野の行者の修行は終戦前まで盛んに続けられておりましたが、地元では「おうかん」(往還)と呼んで親しまれていました。大峯と高野を結ぶこの大峯高野街道(県道53号)には弘法大師にまつわる井戸水の話、姿見として使った鏡岩、庵を結び紫流の滝の奥で仏を刻んだ話など数々の伝承が残ります。
平成11年4月オープンの本村三つ目のおふろです。特産の薬草トウキなどを使用した滝の見える薬湯露天風呂が自慢です。
江戸時代、放浪の僧円空は大峯の地で修行されました。寛文十二年から延宝三年までの間に二度入峯し、山上ケ岳や小篠の宿、笙の窟、鷲の窟など厳しい冬のさなかの越年修行を行っています。この大峯山入峯の時に残された仏像のなかに、栃尾観音堂に安置されている聖観音菩薩立像、大辨財天女立像、金剛童子像、護法神像の四体があります。どの像も円空の作風の特徴をよく表わしており、見るものを惹き付ける穏やかな微笑みをたたえています。小さなほこらに四体もの円空仏が納められていること、また、深い掘りのものは珍しく、特に護法神像のなかでも、彼が初めて彫ったものとして注目されています。
円空の作品が群像として見られるのは近畿以西では天川村だけで、非常に保管状態もよく、評価の高い円空の作品が伝えられているのは珍しく貴重です。
この寺の収蔵庫には、釈迦如来・多聞天・広目天の3体の仏像が安置されています。
言い伝えでは、昔和田に檜の大木があったそうです。ある樵がそのヒノキの大木を切る事になり仕事にかかったのですが、あまりにもその木が太かったのでその日のうちに切る事ができず、翌日切る事にしたそうです。翌日その大木の場所に行ってみると、不思議な事に昨日切った大木の切り口は元に戻っていたそうです。そんな事が7日間も続いたので、樵は考えた末、大木にむかって「無事に切らせていただきましたならば、釈迦如来・多聞天・広目天の3体の仏像を彫り,お堂を建ててお祀りします。」と祈願をかけました。その願いはかない、無事に切る事が出来たといいます。
今でもこの3体の仏像は収蔵庫に祀られており、広目天は雨の仏様、多聞天は風の仏様、といわれております。浄土真宗寺院で本尊の外に木像釈迦如来坐像と二天立像がありこれは天川村の仏像のうち最も古く貴重なものです。(奈良県指定文化財)
この神社は、今から約1100年前の「延喜式」に定められた「式内社」として吉野郡10座のうちの1つです。 天川村から近い場所では、下市町の丹生川上神社(下社)、吉野町の大名持神社、西吉野村の波宝神社などがあります。